東下り(文学史・本文・現代語訳・解説動画)

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今回は『伊勢物語』の「東下り」を解説します。
この作品は大きく分けると「三河国編」「駿河国編」「隅田川編」の三部に分けられます。
それぞれに分けて見ていきます。

文学史

作者

未詳

成立

10世紀中ごろ

ジャンル

歌物語

内容

全125段。在原業平(ありわらのなりひら)だと思われる主人公の一生を綴った一代記風の物語。日本最古の歌物語。多くの段で「昔、男ありけり。」から書き始められる。

三河国編

本文

昔、男ありけり。その男、身をえうなきものに思ひなして、

「京にはあらじ、東の方に住むべき国求めに。」

とて行きけり。もとより友とする人、一人二人して行きけり。
道知れる人もなくて、惑ひ行きけり。三河の国、八橋といふ所にいたりぬ。

そこを八橋といひけるは、水ゆく河の蜘蛛手なれば、橋を八つ渡せるによりてなむ、八橋といひける。
その沢のほとりの木の陰に下りゐて、乾飯食ひけり。
その沢にかきつばたいとおもしろく咲きたり。

それを見て、ある人のいはく、

「かきつばたといふ五文字を、句の上に据ゑて、旅の心を詠め。」

と言ひければ、詠める。

からころも着つつなれにしつましあれば はるばるきぬる旅をしぞ思ふ

と詠めりければ、みな人、乾飯の上に涙落として、ほとびにけり。

現代語訳

昔、男がいた。その男は、自分の身を必要とされていないものと思い込んで、「京にはいるまい、東国の方へ住むのに良い国を求めに(行こう)」と思い出かけていった。
以前から友人関係にある人、1人2人と一緒に行った。
道を知っている人もいなくて、迷いながら行った。

三河国の、八橋という所に到着した。そこを八橋と言ったのは、水の流れていく川が蜘蛛の足(手)のようにように分かれているので、橋を8つ渡してあることによって、八橋と言った。
その沢の辺りの木の陰に馬から下りて座って、乾飯を食べた。

その沢にかきつばたがとても美しく咲いている。
それを見てある人が、「かきつばたという五文字を、各句の頭文字に据えて、ここまでの旅の心を詠みなさい」というので詠んだ歌

着物を何度も何度も着ていると、「萎れて」くる。
その「萎れ」ではないが、馴れ親しんだ妻が都にいるので、はるばるとやって来た旅をしているものだなあと、この度をしみじみと思うことだ。

と詠んだので、そこにいた人は皆、乾飯の上に涙を落としてふやけてしまった。

駿河国編

本文

行き行きて駿河の国に至りぬ。
宇津の山に至りて、わが入らむとする道は、いと暗う細きに、蔦、楓は茂り、もの心細く、すずろなるめを見ることと思ふに、修行者会ひたり。

「かかる道は、いかでかいまする。」

と言ふを見れば、見し人なりけり。
京に、その人の御もとにとて、文書きてつく。

駿河なる宇津の山べのうつつにも 夢にも人にあはぬなりけり

富士の山を見れば、五月のつごもりに、雪いと白う降れり。

時知らぬ山は富士の嶺いつとてか 鹿の子まだらに雪の降るらむ

その山は、ここにたとへば、比叡の山を二十ばかり重ね上げたらむほどして、なりは塩尻のやうになむありける。

現代語訳

どんどん進んでいき、駿河の国に到着した。
宇津の山に到着して、自分が進んでいこうとする道は、とても暗くて細い上に、つたやかえでが生い茂り、なんとなく不安で、思いがけない目にあうことだと思っていると、修行者に出会った。

(修行者は)「このような道に、どうしていらっしゃるのか?」と言う(修行者を)見ると、見たことのある人であった。(←「なりけり」の「けり」は、「詠嘆」になることが多いので、詠嘆で教わった場合は『人であったことよ』などと訳しておいてください) 京都にいる(愛する人・妻)のお手元にと思い、手紙を書いて託した。

駿河にある宇津の山辺に到着したが、その「うつ」といえば、現実でも夢でもあなたに会わないものであるなあ

富士山を見ると、5月末だというのに、雪がとても白く降り積もっている。

季節を知らない山は富士の嶺だ。一体、今をいつだと思って子鹿の背のような白いまだらのように雪が降り積もっているのであろうか。

その山は、ここ京都で喩えるならば、比叡山を20程積み重ねでもしたようなくらいの高さで、形は塩尻のようであった。

隅田川編

本文

なほ行き行きて、武蔵の国と下総の国との中に、いと大きなる川あり。それをすみだ川といふ。
その川のほとりに群れゐて、

「思ひやれば、限りなく遠くも来にけるかな。」

とわび合へるに、渡し守、

「はや舟に乗れ。日も暮れぬ。」

と言ふに、乗りて渡らむとするに、みな人ものわびしくて、京に思ふ人なきにしもあらず。

さる折しも、白き鳥の嘴と脚と赤き、鴫の大きさなる、水の上に遊びつつ魚を食ふ。

京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず。渡し守に問ひければ、

「これなむ都鳥」

と言ふを聞きて、

名にし負はばいざこと問はむ都鳥 わが思ふ人はありやなしやと

と詠めりければ、舟こぞりて泣きにけり。

現代語訳

さらにどんどん進んで行き、武蔵国と下総国との間に、とても大きな川がある。
その川を、隅田川という。その川岸に集まって座り、(遠い都に)思いを馳せると、「果てしなく遠くまでやって来たことだなあ」とみんなで嘆きあっていると、渡し守が、「早く舟に乗れ日が暮れてしまう」と言うので、舟に乗って川を渡ろうとしたが、(川を渡るとますます都から離れてしまうので)皆なんとなく寂しくなってしまい、というのも京の都には思う人がいない訳ではないからである。

そのような時、白い鳥で、くちばしと足とが赤い、鴫くらいの大きさであるとりが、水の上で遊びながら魚を食べている。京の都では見かけない鳥なので、一行の者は皆知らない。

渡し守に尋ねたところ、「これは都鳥だよ」と答えるのを聞いて、

都という名を持っているのであれば、さあ尋ねてみよう都鳥よ。私が思う人は、無事でいるのかいないのか、と

と詠んだので、舟の中の人は皆、泣いてしまった。

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