若紫(文学史・本文・現代語訳・解説動画)

スポンサーリンク
古文現代語訳テスト対策テスト対策

今回は『源氏物語』の「若紫」を解説していきたいと思います。

文学史

作者

紫式部

成立

1008年頃

ジャンル

物語

内容

全54帖。最後の10巻きを「宇治十帖」と呼ぶ。
主人公である光源氏の一生を描く正編と、没後の子どもたちの世代を描く続編から成る。

源氏物語は、作り物語の伝奇性と歌物語の叙情性などを受け継ぎ完成された作品で日本文学の最高傑作と呼ばれる。

江戸時代の国文学者本居宣長は、『源氏物語』の本質を「もののあはれ」ととらえ評価した。

本文

日もいと長きにつれづれなれば、夕暮れのいたう霞みたるにまぎれて、かの小柴垣のもとに立ち出で給ふ。人々は帰し給ひて、惟光朝臣とのぞき給へば、ただこの西面にしも、持仏据ゑ奉りて行ふ尼なりけり。簾少し上げて、花奉るめり。中の柱に寄りゐて、脇息の上に経を置きて、いとなやましげに読みゐたる尼君、ただ人と見えず。四十余ばかりにて、いと白うあてに痩せたれど、つらつきふくらかに、まみのほど、髪のうつくしげにそがれたる末も、なかなか長きよりもこよなう今めかしきものかなと、あはれに見給ふ。

清げなる大人二人ばかり、さては童べぞ出で入り遊ぶ。中に、十ばかりにやあらむと見えて、白き衣、山吹などのなえたる着て走り来たる女子、あまた見えつる子どもに似るべうもあらず、いみじく生ひ先見えてうつくしげなる容貌なり。髪は扇をひろげたるやうにゆらゆらとして、顔はいと赤くすりなして立てり。
「何ごとぞや。童べと腹立ち給へるか。」とて、尼君の見上げたるに、少しおぼえたるところあれば、子なめりと見給ふ。「雀の子を犬君が逃がしつる、伏籠のうちに籠めたりつるものを。」とて、いと口惜しと思へり。このゐたる大人、「例の、心なしの、かかるわざをしてさいなまるるこそ、いと心づきなけれ。いづ方へかまかりぬる。いとをかしう、やうやうなりつるものを。烏などもこそ見つくれ。」とて立ちて行く。髪ゆるるかにいと長く、めやすき人なめり。少納言の乳母とぞ人言ふめるは、この子の後ろ見なるべし。

尼君、「いで、あな幼や。言ふかひなうものし給ふかな。おのがかく今日明日におぼゆる命をば、何とも思したらで、雀慕ひ給ふほどよ。罪得ることぞと常に聞こゆるを、心憂く。」とて、「こちや。」と言へばついゐたり。
つらつきいとらうたげにて、眉のわたりうちけぶり、いはけなくかいやりたる額つき、髪ざし、いみじううつくし。ねびゆかむさまゆかしき人かなと、目とまり給ふ。さるは、限りなう心を尽くし聞こゆる人に、いとよう似奉れるが、まもらるるなりけりと思ふにも、涙ぞ落つる。

尼君、髪をかき撫でつつ、「けづることをうるさがり給へど、をかしの御髪や。いとはかなうものし給ふこそ、あはれにうしろめたけれ。かばかりになれば、いとかからぬ人もあるものを。故姫君は、十ばかりにて殿に後れ給ひしほど、いみじうものは思ひ知り給へりしぞかし。ただ今おのれ見捨て奉らば、いかで世におはせむとすらむ。」とて、いみじく泣くを見給ふも、すずろに悲し。幼心地にも、さすがにうちまもりて、伏し目になりてうつぶしたるに、こぼれかかりたる髪、つやつやとめでたう見ゆ。

生ひ立たむありかも知らぬ若草をおくらす露ぞ消えむそらなき

またゐたる大人、「げに。」とうち泣きて、

初草の生ひゆく末も知らぬ間にいかでか露の消えむとすらむ

と聞こゆるほどに、僧都あなたより来て、「こなたはあらはにや侍らむ。今日しも端におはしましけるかな。この上の聖の方に、源氏の中将の、瘧病みまじなひにものし給ひけるを、ただ今なむ聞きつけ侍る。いみじう忍び給ひければ、知り侍らで、ここに侍りながら、御とぶらひにも詣でざりける。」とのたまへば、「あないみじや。いとあやしきさまを、人や見つらむ。」とて簾下ろしつ。「この世にののしり給ふ光源氏、かかるついでに見奉り給はむや。世を捨てたる法師の心地にも、いみじう世の愁へ忘れ、齢伸ぶる人の御ありさまなり。いで御消息聞こえむ。」とて立つ音すれば、帰り給ひぬ。

あはれなる人を見つるかな。かかれば、このすき者どもは、かかる歩きをのみして、よくさるまじき人をも見つくるなりけり。たまさかに立ち出づるだに、かく思ひのほかなることを見るよと、をかしう思す。さても、いとうつくしかりつる児かな、何人ならむ、かの人の御代はりに、明け暮れの慰めにも見ばやと思ふ心深うつきぬ。

現代語訳

《第一段落》
(晩春の)日もたいそう長い上にすることがないので、夕暮れがひどく霞んでいるのに紛れて、(源氏は)例の小柴垣のあたりにお出かけになる。お供の人々はお帰しになって、惟光朝臣と(小柴垣の中を)おのぞきになる(→垣間見をする)と、ちょうどすぐそこの西向きの部屋で、持仏をお据え申しあげて勤行なさっている、それは尼であったのだなあ。(見たところ)簾を少し上げて、花をお供えしているようだ。中の柱に寄りかかって座り、脇息の上にお経を置いて、ひどく気分が優れなさそうに読経を続けている尼君は、普通の身分の人とは見えない。四十歳過ぎぐらいであって、とても色白で気品があり痩せているけれど、顔つきはふっくらしていて、目もとのあたり、髪がきれいな感じに(肩のあたりで)切りそろえられた髪の末も、かえって長いのよりもこの上なく現代風で新鮮なものだなあと、(光源氏は)しみじみとご覧になる。

《第二段落》
小ぎれいな年配の女房が二人ほど、その他には子どもたちが出入りして遊んでいる。その中に、十歳ほどであろうかと見えて、白い衣の下着に、山吹襲の服などで着慣れて生地が柔らかくなっている服を着て走ってきた少女(若紫)は、大勢見えていた子どもたちに似ても似つかず、さぞかし成人後は(美しくなるだろうと)予想されて見るからにかわいらしい顔立ちである。髪は扇を広げたようにゆらゆらとして、顔は(涙をふいたせいで)こすってたいそう赤くして立っている。
「何事なの。子どもたちと喧嘩なさったのですか。」と言って、尼君が見上げている顔に、少し似ているところがあるので、(尼君の)子であるようだと(光源氏は)ご覧になる。「雀の子を犬君が逃がしてしまったの、伏籠の中にちゃんと入れておいたのになあ。」と言って、すっかり残念がっている。そこに座っている女房が、「いつものように、うっかり者が、こんなことをして叱ったりされるなんて、ほんとうにいけませんね。(雀の子は)どちらの方へ参りましたのでしょうか。たいそうかわいらしく、だんだんなってきていたのになあ。烏などが見つけたら大変だわ。」と言い立って行く。髪が豊かでたいそう長く、(見た目の)感じがいい人であるようだ。少納言の乳母と人が言っているようなのは、この子の世話役なのであろう。

《第三段落》
尼君は、「まあ、なんて幼いこと。聞き分けなくていらっしゃることよ。わたくしがこのように今日明日とも思われる命であるのに、何ともお思いになっていないで、雀を慕って追いかけていらっしゃることよ。(生きものを捕らえることは)仏罰を受けるような罪になることよといつも申しあげているのに、つらいわ……。」と言って、「こちらへいらっしゃい。」と言うと(少女は)膝をついて座った。
顔つきがとてもかわいらしい様子で、眉のあたりがほのかにけぶるように美しく見え、あどけなく(髪を)かき上げた額の様子、髪の生えぐあいも、たいへんにかわいらしい。これから成長していくような様子を見届けたい人であるなあと、(光源氏は)じっと見つめていらっしゃる。というのも、実は(光源氏が)限りなく恋い慕い申しあげている方(→藤壷)に、たいそうよく似申し上げている(その容貌)が、自然と見つめられてしまうのであったのだと思うにつけても、(藤壷とのかなわない恋を思い出してしまい)涙が自然とこぼれ落ちてしまう。

《第四段落》
尼君は、(少女の)髪をしきりにかき撫でては、「髪をとかすことをいやがりなさるが、きれいなお髪ですこと。たいそう頼りなくていらっしゃるのが、不安で気がかりなのです。これくらいの年齢になれば、これほど(幼稚)でない人もいるのになあ。亡くなった姫君は、十歳ぐらいで父上に先立たれなさった頃には、たいそう分別がおありになっていたのですよ。たった今わたくしが(あなたを)お見捨て申しあげるならば、どうやって世の中で暮らしていかれるおつもりでしょうか。」と言って、たいそう泣くのを(光源氏が)ご覧になるにつけても、わけもなく悲しい。(少女が)幼心地にも、さすがに(尼君を)じっと見つめて、伏し目になってうつむいているところに、こぼれかかっている髪は、つややかでみごとに美しく見える。

これから成長していく先もわからない若草(のような少女)を、この世に残して消えてゆく露(のようなわたくし)は、消えようにも消える空がないことよ

同じくそこに座っている女房が、「ほんとうに。」と涙ぐんで、

初草(のような少女)が成長していく先もわからない間に、どうして露(のようなあなた)は消えようとしているのだろうか(消えないでいてほしい)

と申しあげているところに、僧都があちらから来て、「ここは外からまる見えなのではないでしょうか。今日に限って端においでなのですね。この上の高徳の僧の所に、源氏の中将が、熱病の治療にいらっしゃったのを、たった今聞きつけました。たいそうお忍びでいらっしゃったので、存じませんで、ここにおりながら、お見舞いにも参りませんでした。」とおっしゃるので、「まあ大変。たいそう見苦しい様子を、誰かが見てしまったかしら。」と言って簾を下ろしてしまった。「世間で評判になっていらっしゃる光源氏を、こういう機会に拝見なさいませんか。俗世を捨てた法師の気持ちにも、たいそう世の憂さを忘れ、寿命が延びる(ような気がする)君のご様子です。どれご挨拶を申しあげましょう。」と(僧都が)言って立つ音がするので、(光源氏は)お帰りになった。

《第五段落》
心ひかれるかわいい人を見たものだなあ。こうだから、この色恋の道にひかれている男たちは、このような忍び歩きをばかりして、よく思いがけない人を見つけるのであるな。 たまに出かけてさえ、このように思いがけない人を見つけるものだと、おもしろくお思いになる。それにしても、たいそうかわいい子だったなあ、誰だろう、あの方の御身代わりに、明け暮れの心の慰めとしても(そばで)見たいものだと思う気持ちに深く取りつかれてしまった。

プリント

授業用プリントはこちら

源氏物語・再生リスト

コメント

タイトルとURLをコピーしました