今回は『和泉式部日記』の「夢よりもはかなき世の中」を解説していきたいと思います。
文学史
作者
和泉式部
成立
1008年
ジャンル
日記
内容
和泉式部と敦道親王との恋を記した日記。
本文
夢よりもはかなき世の中を、嘆きわびつつ明かし暮らすほどに、四月十余日(うづきじふよひ)にもなりぬれば、木の下暗がりもてゆく。
築地の上の草青やかなるも、人はことに目もとどめぬを、あはれと眺むるほどに、近き透垣のもとに人のけはひすれば、誰ならむと思ふほどに、故宮に候ひし小舎人童なりけり。
あはれにもののおぼゆるほどに来たれば、
「などか久しう見えざりつる。遠ざかる昔の名残にも思ふを。」
など言はすれば、
「そのことと候はでは、なれなれしきさまにやと、つつましう候ふうちに、日ごろは山寺にまかり歩きてなむ。いと頼りなく、つれづれに思ひ給うらるれば、御代はりにも見奉らむとてなむ、帥宮に参りて候ふ。」
と語る。
「いとよきことにこそあなれ。その宮は、いとあてにけけしうおはしますなるは。昔のやうにはえしもあらじ。」
など言へば、
「しかおはしませど、いとけぢかくおはしまして、『常に参るや。』と問はせおはしまして、『参り侍り。』と申し候ひつれば、『これ持て参りて、いかが見給ふとて奉らせよ。』とのたまはせつる。」
とて、橘の花をとり出でたれば、「昔の人の」と言はれて、
「さらば参りなむ。いかが聞こえさすべき。」
と言へば、言葉にて聞こえさせむもかたはらいたくて、なにかは、あだあだしくもまだ聞こえ給はぬを、はかなきことをもと思ひて、
[薫る香によそふるよりはほとどぎす 聞かばや同じ声やしたると]
と聞こえさせたり。
まだ端におはしましけるに、この童隠れの方に気色ばみけるけはひを、御覧じつけて、
「いかに。」
と問はせ給ふに、御文をさし出でたれば、御覧じて、
[同じ枝に鳴きつつをりしほととぎす 声は変わらぬものと知らずや]
と書かせ給ひて、賜ふとて、
「かかること、ゆめ人に言ふな。好きがましきやうなり。」
とて、入らせ給ひぬ。
現代語訳
(はかないとされる)夢よりもはかない男女の仲を、嘆き悲しみ続けて夜を明かし日を暮らすうちに、四月十日過ぎにもなったので、(葉が茂って)木陰がだんだんと暗くなっていく。
築土の上の草が青々としているのも、他の人はことさら目にも止めないけれども、(私は)しみじみと感慨深いことと思って眺めているときに、(母屋に)近い水垣のもとに人の気配がするので、誰だろうと思っていると、亡くなった宮(為尊)にお仕えしていた小舎人童であったなあ。
しみじみと故宮の思い出に浸っていたちょうどそのタイミングで童がやってきたので、「どうして長らく姿を見せなかったのか。(おまえのことを)遠ざかる過去の名残と思っているのに」などと、取り次ぎの女房に言わせると、
「これといった用事がございませんでは、(お伺いするのも)厚かましい様子ではなかろうかと、遠慮しておりますうちに、近頃は山寺詣出に出歩き申し上げておりまして。全く頼みとするところもなく、所在なく思われますので、(故宮の)お身代わりとしてもお世話申し上げようと思って(今は)帥の宮様(敦道)のもとに参上しております。」と話す。
「たいそう良い話であるようだね。その宮様は、とても上品で、親しみにくくていらっしゃるそうだね。(おまえも)昔のようではいられないだろう。」などというと、
「そうではいらっしゃるけれども、たいそう親しみやすくていらっしゃって、『いつもあの方のもとへ参上するのか?』とお尋ねなさって、『参上いたします』と申し上げましたところ、『これを持参して、どのようにご覧になるか』といって、橘の花を取り出したので、
「昔の人の」と思わず口をついて出て・・・。(そうこうしているうちに童が)「では帰参しましょう。宮様への返事はどのように申し上げたらよいですか」と言うので、
口頭で申し上げるのも決まりが悪くて、「いや、なに。帥の宮様はまだ浮気性だとうわさされていらっしゃらないので、ちょっとしたことでも(申し上げても大丈夫だろう)」と思って、
(昔の人を思い出させるという橘の花の)薫る香りにかこつけるよりは、(橘の花と縁の深い)ほととぎす(の声)を聞きたいものです。同じ声をしているかと
と、申し上げた。
(帥の宮は)まだ外にいらっしゃったところ、この童が物陰のあたりで(咳払いなどをして)合図をした様子を見つけなさって、「どうだった?」とお尋ねなさったので、和泉式部からのお手紙を差し出したところ、ご覧になって、
同じ枝に鳴いていたほととぎすだよ。声は変わらないものと知らないのですか。
とお書きになって、(童に)お与えになるといって、「このようなことを、決して人に言うな。好色めいているようだ。」と言って、家の奥へとお入りになった。
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