今回は「雑説」を解説していきたいと思います。
書き下し文
世に伯楽有りて、然る後に千里の馬有り。千里の馬は常に有り。而れども伯楽は常には有らず。
故に名馬有りと雖も、祇だ奴隷人の手に辱められ、槽櫪の間に駢死して、千里を以つて称せられざるなり。
馬の千里なる者は、一食に或いは粟一石を尽くす。
馬を食ふ者は、其の能の千里なるを知りて食はざるなり。
是の馬や、千里の能有りと雖も、食飽かざれば、力足らず、才の美外に見はれず。
且つ常の馬と等しからんと欲するも、得べからず。安くんぞ其の能の千里なるを求めんや。
之を策うつに其の道を以つてせず。之を食ふに其の材を尽くさしむる能はず。
之に鳴けども其の意に通ずる能はず。
策を執りて之に臨みて曰はく、「天下に馬無し。」と。
嗚呼、其れ真に馬無きか、其れ真に馬を知らざるか。
現代語訳
世間に馬の鑑定の名人(伯楽)がいて、そうして初めて、一日に千里の距離を走る名馬が見出される。千里の馬は、いつも存在している。しかし、その馬を見出す伯楽は、いつもいるとは限らない。
そのため、名馬はいるのだが、ただ、身分の低い馬飼いたちの手によって粗末に扱われ、馬小屋の中で、並の馬と一緒に首を並べて死んでゆき、千里の馬として褒め称えられないで終わってしまう。
馬の中で、一日に千里を走るほどのものは、一度の食事に、あるときは穀物一石を食べ尽くしてしまう。ところが、馬を飼っている人は、その馬の能力が一日に千里も走るということを承知していて飼っているのではない。
この馬は、一日に千里を走るほどの能力があるのだが、食糧が不十分であれば、十分な力を発揮できないし、立派な才能が外に現れることもない。そのうえ、並の馬と同じような働きをしようと思っても、それもできない。
(これでは)どうしてその馬が、一日に千里も走るようにと望むことができようか、いや、できはしない。
飼い主は、千里の馬を鞭打つにしても、千里の馬にふさわしい調教法によらない。飼い主は、千里の馬を飼うのに、千里の馬としての才能を発揮させることもできない。
千里の馬が飼い主に鳴いて訴えても、飼い主はその心を理解することができない。鞭を手にして、千里の馬に向かって、「世の中には、優れた馬はいない。」と言う。
ああ、本当に優れた馬はいないのか、それとも、優れた馬を見抜けないのであろうか。
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