今回は『伊勢物語』の「筒井筒」を解説します。
文学史
作者
未詳
成立
10世紀中ごろ
ジャンル
歌物語
内容
全125段。在原業平(ありわらのなりひら)だと思われる主人公の一生を綴った一代記風の物語。日本最古の歌物語。多くの段で「昔、男ありけり。」から書き始められる。
本文
昔、田舎わたらひしける人の子ども、井のもとに出でて遊びけるを、大人になりにければ、男も女も恥ぢかはしてありけれど、男はこの女をこそ得めと思ふ。女はこの男をと思ひつつ、親のあはすれども、聞かでなむありける。さて、この隣の男のもとより、かくなむ、
筒井筒井筒にかけしまろが丈過ぎにけらしな妹見ざるまに
女、返し、
くらべこし振り分け髪も肩過ぎぬ君ならずしてたれか上ぐべき
など言ひ言ひて、つひに本意のごとくあひにけり。
さて、年ごろ経るほどに、女、親なく、頼りなくなるままに、もろともに言ふかひなくてあらむやはとて、河内の国高安の郡に、行き通ふ所出で来にけり。さりけれど、このもとの女、あしと思へるけしきもなくて、出だしやりければ、男、異心ありてかかるにやあらむと、思ひ疑ひて、前栽の中に隠れゐて、河内へいぬる顔にて見れば、この女、いとよう化粧じて、うちながめて、
風吹けば沖つ白波たつた山夜半にや君がひとり越ゆらむ
とよみけるを聞きて、限りなくかなしと思ひて、河内へも行かずなりにけり。
まれまれかの高安に来てみれば、初めこそ心にくくもつくりけれ、今はうちとけて、手づからいひがひ取りて、笥子のうつはものに盛りけるを見て、心うがりて行かずなりにけり。さりければ、かの女、大和の方を見やりて、
君があたり見つつををらむ生駒山雲な隠しそ雨は降るとも
と言ひて見出だすに、からうじて、大和人、「来む。」と言へり。喜びて待つに、たびたび過ぎぬれば、
君来むと言ひし夜ごとに過ぎぬれば頼まぬものの恋ひつつぞ経る
と言ひけれど、男住まずなりにけり。
現代語訳
昔、田舎で暮らしを立てていた人の子供たちが、井戸の周りに出て遊んでいたが、大人になってしまったので、男も女も互いに(顔を合わせるのを)恥ずかしがっていたけれども、男はこの女をぜひ妻にしようと思っていた。(また)女はこの男を(夫にしたい)と思い続け、親が(他の男と)結婚させ(ようとす)るけれども、耳を貸さずにいた。そういうことで、この隣の男のところから、このように(歌を贈ってきた)、
筒型に掘り下げた井戸の井戸囲いの井筒と高さを比べ合った私の背丈は、井筒の高さを越してしまったにちがいないよ、あなたに会わない間に。
女が、返しの歌を、
あなたと長さを比べてきた私の振り分け髪も肩より長くなりました。あなたでなくてほかの誰がこの髪を結い上げましょうか、いいえ、(私の夫となる人は)あなた以外にありません。
などと受け答えを続けて、とうとうかねてからの望みのとおり結婚してしまった。
こうして結婚して、何年かたつうちに、女は、親が死んで、生活が貧しくなるにつれて、一緒に貧乏な状態でいられようか、いや、いられはしないということで、(男は)河内の国高安の郡に、通って行く所ができてしまった。そんなことになったけれども、この初めから暮らしてきた女は、不快に思っている様子もなくて、送り出して行かせたので、男は、(女にも)浮気心があって(ほかに愛する男ができたので)こんな態度なのだろうかと、気を回して疑って、庭の植え込みの中に隠れひそんで、河内へ行ったふりをしてうかがっていると、この女は、たいそうきれいに化粧をして、もの思いにふけって、
風が吹くと沖の白波が立つ、その竜田山を、夜中にあなたは一人で今ごろは越えているのでしょうか。(どうかご無事でいらっしゃいますように)。
と(歌を)よんだのを聞いて、(男は)このうえもなくいとしいと思って、河内へも行かなくなってしまった。
ごくまれに例の高安に来てみると、(河内の女は)初めのころこそは奥ゆかしくもよそおいをこらしていたけれども、今は気を許して、自分でしゃもじを(手に)取って、(飯を)食器によそったのを見て、(男は)いやに思って行かなくなってしまった。こういう具合なので、その(河内の)女は、(男の住んでいる)大和のほうを見やって、
あなたのいらっしゃるあたりをずっと見続けておりましょう。(だから、大和とこの河内との間にある)生駒山を、雲よ、隠さないでおくれ。たとえ雨は降っても。
と言って縁から外を眺めていたところ、やっとのことで、大和の国の男は、「行くつもりだ。」と言ってきた。(河内の女は)喜んで待ったが、何度もすっぽかされてしまったので、
あなたが来ようとおっしゃった夜は、毎夜毎夜(むなしく)過ぎてしまったので、(もう今では)あてにはしないけれども、(それでもあなたのことを)恋しく思い続けて日を過ごしています。
と(けなげなことを)言ったけれども、男は通って行かなくなってしまった。
コメント