今回は『土佐日記』の「帰京」を解説していきたいと思います。
文学史
作者
紀貫之
成立
935年頃
ジャンル
日記(仮名で書かれた最初の日記)
内容
土佐から京に到着するまでの旅日記。
女性に仮託して書かれている。
内容の中心は、土佐で死別した女児に対する愛嬌の念。
冒頭分
「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。」は有名。
本文
京に入り立ちてうれし。家に至りて、門に入るに、月明ければ、いとよくありさま見ゆ。
聞きしよりもまして、言ふかひなくぞこぼれ破れたる。家に預けたりつる人の心も、荒れたるなりけり。
「中垣こそあれ、一つ家のやうなれば、望みて預かれるなり。」
「さるは、たよりごとに、ものも絶えず得させたり。」
「今宵、かかること。」
と、声高にものも言はせず。いとはつらく見ゆれど、こころざしはせむとす。
さて、池めいてくぼまり、水つける所あり。ほとりに松もありき。
五年六年のうちに、千年や過ぎにけむ、かたへはなくなりにけり。今生ひたるぞ混じれる。
おほかたの、みな荒れにたれば、
「あはれ。」
とぞ人々言ふ。
思ひ出でぬことなく、思ひ恋しきがうちに、この家にて生まれし女子の、もろともに帰らねば、いかがは悲しき。船人もみな、子たかりてののしる。
かかるうちに、なほ悲しきに堪へずして、ひそかに心知れる人と言へりける歌、
生まれしも帰らぬものをわが宿に小松のあるを見るが悲しさ
とぞ言へる。なほ飽かずやあらむ、またかくなむ、
見し人の松の千年に見ましかば遠く悲しき別れせましや
忘れがたく、くちをしきこと多かれど、え尽くさず。とまれかうまれ、とく破りてむ。
現代語訳
京の町中に入って行くのでうれしい。家に到着して、門に入ると、月が明るいので、とてもよく様子が見える。うわさに聞いていたよりもまさって、話にならないほど壊れ傷んでいる。家だけでなく預けておいた留守番の人の心も、すさんでいるのであったよ。
「隔ての垣根はあるけれども、一つ屋敷みたいなものだから、(頼みもしないのに先方が)望んで(この家を)預かったのだ。」
「そうは言っても、ついでのあるたびに、贈り物も絶えずやってあったのだ。」
「今夜(帰って来てみると)、こんなありさまだ。」
と(人々は口々に言うが)、大声で不平を言わせることはさせない。なんとも薄情だとは思われるけれども、お礼はしようと思う。
さて、池みたいにくぼんで、水のたまっている所がある。(その)まわりに松もあった。
(しかし、今夜見ると)五年か六年の間に、千年も過ぎてしまったのだろうか、(松の)半分はなくなってしまっていたよ。(そこに)新しく生えたのが混じっている。だいたいが、すっかり荒れてしまっているので、
「ほんとにひどいね。」
と人々が言う。
思い出さないことはなく、恋しく思われることの中でも、この家で生まれた女の子が、いっしょに帰らないので、どんなに悲しいことか。同じ船でいっしょに帰京した人々もみな、子供がよってたかって騒ぐ。こんな情景の中で、やはり悲しくてたまらないので、そっと気持ちの通じ合っている人とよみかわしていた歌、
(この家で)生まれた子も(土佐で亡くなって)帰って来ないというのに、その私の家の庭に、(もとはなかった)小松が生えているのを見るのが、悲しいことだ。
とよんだ。
それでもやはり言い足りないのだろうか、またこういう(歌もよんだ)、
亡き女児が、松のように千年の齢を保っていたら、あの遠い土佐の国で、悲しい別れをしただろうか、いや、しなかっただろうに。
忘れがたく、心残りなことは多いけれど、書き尽くすことはできない。何はともあれ、(こんな書き物は)早く破ってしまおう。
土佐日記・再生リスト
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