今回は『大鏡』の「弓争ひ」を解説していきたいと思います。
文学史
作者
未詳
成立
11世紀末までに成立
ジャンル
歴史物語
内容
歴史物語の最高傑作と呼ばれ、紀伝体で書かれている。「四鏡」の第一作。大宅世継(おおやけのよつぎ)と夏山繁樹(なつやまのしげき)という2人の老人が語る形式。藤原道長を中心に描くが、道長賛美で終わらない鋭い批判精神がある。
本文
世間の光にておはします殿の、一年ばかり、ものを安からず思し召したりしよ。いかに天道御覧じけむ。
さりながらも、いささか逼気し、御心やは倒させ給へりし。
朝廷ざまの公事・作法ばかりにはあるべきほどにふるまひ、時違ふことなく勤めさせ給ひて、内々には、所も置き聞こえさせ給はざりしぞかし。
帥殿の、南院にて人々集めて弓あそばししに、この殿わたらせ給へれば、
「思ひかけずあやし。」
と、中関白殿思し驚きて、いみじう饗応し申させ給うて、下臈におはしませど、前に立て奉りて、まづ射させ奉らせ、給ひけるに、帥殿の矢数いま二つ劣り給ひぬ。
中関白殿、また御前に候ふ人々も、
「いま二度延べさせ給へ。」
と申して、延べさせ給ひけるを、安からず思しなりて、
「さらば、延べさせ給へ。」
と仰せられて、また射させ給ふとて、仰せらるるやう、
「道長が家より帝・后立ち給ふべきものならば、この矢当たれ。」
と仰せられるるに、同じものを中心には当たるものかは。
次に、帥殿射給ふに、いみじう臆し給ひて、御手もわななく故にや、的のあたりにだに近く寄らず、無辺世界を射給へるに、関白殿、色青くなりぬ。
また、入道殿射給ふとて、
「摂政・関白すべきものならば、この矢当たれ。」
と仰せらるるに、初めの同じやうに、的の破るばかり、同じところに射させ給ひつ。
饗応し、もてはやし聞こえさせ給ひつる興もさめて、こと苦うなりぬ。
父大臣、帥殿に、
「何か射る。な射そ、な射そ。」
と制し給ひて、ことさめにけり。
今日に見ゆべきことならねど、人の御さまの、言ひ出で給ふことの趣より、かたへは臆せられ給ふなんめり。
現代語訳
世の中の光でいらっしゃる殿(=藤原道長)が、一年ほどの間、心穏やかでなくお思いになっていたことだよ。(それを)どのように天帝は御覧になったのだろうか。
しかしながら、少しも卑屈になったり、お心をくさらせたりしてはいらっしゃらなかった。
公的な朝廷の公務や儀式だけは(藤原伊周の下位にいるものとして)分相応に振る舞い、時間を間違えることもなくお勤めなさって、私的な場では(伊周に)全くご遠慮申しあげなさってはいませんでしたよ。
帥殿(=伊周)が、(父・藤原道隆邸の)南院で人々を集めて弓の競射をなさった時に、この殿(道長)がいらっしゃったので、思いもよらず不思議なことだと、中関白殿(=道隆)は驚きなさって、(道長に対して)たいそう機嫌をとって調子を合わせ申しあげなさって、
(道長は伊周よりも)低い官位でいらっしゃるけれども、(道長を伊周より)先の順番に立て申しあげて、初めに射させ申しあげなさったところ、帥殿の(的中した)矢の数があと二本(道長に)負けなさってしまった。
中関白殿も、またおそばにお控えしている人々も、
「もう二回(競射を)延長なさいませ。」
と申しあげて、延長なさったので、(道長は)心中穏やかでなくお思いになって、
「それなら、延長なさい。」
とおっしゃって、また射なさろうとして、おっしゃることには、
「この道長の家から帝・后がお立ちになるはずのものならば、この矢当たれ。」
とおっしゃると、同じ当たるといっても、的の真ん中に当たったではないか。
次に、帥殿が射なさると、ひどく気後れなさって、お手も震えたためだろうか、的のそばにさえ近寄らず、でたらめな方向を射なさったので、関白殿(=道隆)は、顔色が真っ青になってしまった。また、入道殿(=道長)が射なさろうとして、
「(私が)摂政・関白になるはずのものならば、この矢当たれ。」
とおっしゃると、初めの(矢と)同じように、的が割れるほど、同じ(的の真ん中の)ところを射なさった。(道隆は道長に対して)ご機嫌をとり、歓待申しあげなさった興もさめて、気まずくなってしまった。父の大臣(=道隆)は、帥殿に、
「どうして射るのか。射るな、射るな。」
とお止めになって、その場がしらけてしまった。
今日すぐ実現するわけではないが、入道殿のご様子や、おっしゃったことの趣旨(内容)のために、一方(=伊周)は気後れなさってしまったのだろう。
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